大衆について思うこと
今日は大衆について思ったことや感じたことを書いていきたいと思います
大衆、私はこの言葉に金魚のフンのようなイメージを持っている
はっきりと言ってしまえば、これも偏見の内のの1つなのかもしれない
大衆という言葉を私はあまり好きになることができない理由はいくつかある
その内の少しを書いていく
例えばテレビで◯◯は栄養にいいという内容を見たとする
その場合、全員が全員◯◯を買おうとは思わないかもしれないが、恐らく大勢の人が出来れば買おうかなという考えを持つ事になると思う
そこで問題なのが、普段から◯◯を買う人が、その情報を知った他の大勢の人に先に買われ売切れになってしまい、買えなくなってしまう場合だ
これは非常にまずいことだと思う
テレビで放送したからと、その情報は安心だと思う人が多くいるかもしれないが、これがもし洗脳させる為のものだとしたらどうだろうか
それとは別に、普段から◯◯を病気を治す為の薬として買っている人がいるとしたら、とても迷惑な話ではなかろうか
簡単な話、私は現代の大衆は物事をより深く考えない傾向があるのではないかと思い、好きになれない
人は脳があり考える力を持ち、言語も発達している動物なのだ
それなのに、その考えることを放棄し続けたらこの頭は無意味ではないか
少し話が脱線したかもしれない
震災の時も、原発事故の時も、大衆は物事をより深く考えることをせずに、発言することが多いように感じた
発言することは大事だとは思う
しかし、誰かから与えられた情報のみで判断した発言より、自ら動きその情報について詳しく調べ理解した上で判断した発言の方が物事をより正確に捉えることができるのだと思う
だから、自分から調べ理解したわけでもないのにその情報について意見するのは間違いだと思う
今までいろいろと思うことを書いてきたが、大衆は考えが足りな過ぎることがあると私は思うので、行動する前に一度より考えらことをしたほうがいい気がする
これは私が思う大衆のイメージと現実の大勢の一般人の偏見の一種だと思うが、もし当てはまる部分がある人がいたら少しずつ頭を使うことをして欲しい
今日は以上で終わりです
次回も日常生活であったことや思ったこと、感じたことなどを書いていきたいと思います