不死 安定志向

今日は不死と安定志向ついて思ったことや感じたことを書いていきたいと思います

 

不死についてはふと思ったことなので、軽く見るといいと思う

 

生きとし生けるものは全て死ぬ

生きているから死ぬ

では、死は生があるからこそ存在すると言える

 

そもそも、生まれなければ死は存在しない

と考えると私たちは有の存在だから生まれ死ぬ

無になれば、死も生も存在しない

 

こういう風に考えてみると、不死は無の存在になれば実現可能なのかもしれない

 

不老不死について思うのは、私たちが人間である限り、不死よりも難しいのではないかと思う

 

死ぬということは、その前に必ず生まれたということだから

死を克服したいのなら、そもそも生まれなければいい

この地球で生きている存在を有だとすると、産まれることのなかったものが無

無というのは、生死が関係なく永遠のものなんだと思う

 

少し話を変えるが、安定志向で考え行動している人は多いと思う

しかし、私たち、有の存在は無とは真逆で時間が存在し変化し続ける

本来、安定とは真逆の流れの中で生きている

それでも、日々を過ごしていると毎日が同じように感じるので、その平穏を続けようとするのだろう

 

よく考えてもらいたい

その平穏は少しづつ終局へ向かっているが、その変化は微々たるものなので気付きにくいだけなのだ

人は産まれた時から死へ向かい歩いて行く

 

だから人生を適当に生きるというわけではない

逆に人生に自分なりの目的を持ち行動したほうがいいと思うのだ

 

現在の環境に満足し停滞するのではなく、より良いものを求め前進した方が、後悔が少ないと思う

よく聞かないだろうか

しない後悔よりやった後悔

私は行動せずに後悔するよりも、行動して後悔する方が好きだ

 

自身を向上出来るときから進んで行動し、チャンスがあれば例え失敗する可能性があるとしても、すべてを失うわけでないのならやってみた方がいい

 

その行動した経験というのは、人生において大きな成果となり今後の自身に活きてくる

 

だから、私は安定を求めるより冒険し夢に向かって進んで行動するほうがいいと思う

 

これで終わりです

 

次回も日常生活で思ったことや感じたことを書いていきたいと思います