就活について

今日は就活について、私が考えていることや感じたこと思ったことを書いていきます

 

今回は就活をする際に、私が考えていた心構え的なものや抱いていた信念を書く

 

まず、私は現在大学4年生であり来年は社会人となり働いて行くことになる

来年は卒業する予定なので、留年については問題ないことと考えてもらいたい

 

話を戻そう

 

そこで、大事なのが大学4年のときに始まる人生の一大イベントの就活

どこの企業に就職するかによって、将来が決まる

だから、公務員になったり大手の企業に入ったりしよう

 

と思ってる人もいるかもしれない

 

しかし、私は本当にそれでいいのだろうか

いや、むしろ駄目だと考えている

 

ひと昔前は、それで良かったのかもしれないので、当時の人々はそう言うのかもしれない

しかし、今は昔と異なる

時代は変わり、昔の常識では現代が立ち行かなくなり新しい常識できる

そしてそれがが普通となっていく

もしかしたら、これが文化なのかもしれない

 

また話がずれたので戻す

 

昔と今では時代が異なるので、昔の常識を今でも絶対通じるなどと考えないでもらいたいと私は思う

今は、今に適用された考えが必要となるだろう

 

また、親が公務員になれだの大企業だから安心と言うから、そこに就職する

といってそのまま行動する人には、貴方には自分というものが無いのかと問いたい

そこへ就職した後、後悔する事があっても親のせいにしないと言えるだろうか

 

私には無理だ

 

よく考えた結果、公務員や大企業に就職するなら問題はないと思う

 

また、今は就活生にとって有利な時代という話も耳にする

 

だからと言って、企業側がこちらのことを全然知りもしないのに内定をくれるのもおかしいと私個人は思う

別にそれでいいと思う人はいるかもしれないが、私の場合は嫌だ

 

【私たちは就活を、この会社で一緒に働くメンバーを見つける場だと考えている

だから、一緒に働きたいと思える人を探してるから君たちも自分に合っている会社を探すといいよ】

 

就活をしているときに、企業側から(細部は少し異なっているかもしれないが)このような話を聞いた

 

その時の私は、就活する立場だったのでそのようなことは考えたこともなかった

ただ、私の興味がある企業にがむしゃらに突っ込み、何をどう考えこう思ったのかなど自分を正直にさらけ出していこうとしか考えていなかった

 

だから、逆にそういう捉え方で就活に挑むやり方もあるのかと思い、自分に合っていそうな企業や、一緒に働きたいと思える人がいる企業を探すようになった

 

また、私が他に大切だと考えているものは、企業の理念やそこの価値観だ

 

まずは価値観だが、企業説明の時点で企業のアピールの様々な方向性があると思う

 

例えば、最近は売り上げが伸び続けているから給料がいいですよなど、資格を取る為に手厚くサポートしますよなど

あげてみれば、色々とあると思うのでこのくらいにするが、このアピールのときに企業側の自慢できる部分が聞けるはずだ

 

逆に言えば、言わないことはそこまで自信を持って話せないとも受け取る事ができる

だから、説明のとき自分が興味を持つことができたら、その企業に就職出来るように頑張ればいいと思う

 

最後に、企業を選ぶ条件は人それぞれだと思うが、お金、働く場所、企業の雰囲気や価値観、勤務時間、これらを総括して自分が満足又は妥協できるところを見つけるのが、就活ということなのではないかと私は思う

 

今回は以上で終わりです

 

最近まで、就活があり忙しくなっていたので書くのが久しぶりになりました

次回も日常生活で思ったことや感じたこと考えたことを書いていきます

 

欠点の捉え方

今日は欠点の捉え方について、考えたことや思ったことなどを書いていきたいと思います

 

欠点というと、自分からすれば目立っているような気がすることが多いと思う

 

しかし、世の中にはその欠点を羨ましがる人だって存在する

 

また案外、他の人はその欠点込みであなたをあなたと認識しているかもしれない

 

少し昔の話を書く

私は個人的に自身が毛深いと思っており、毛がない人を羨ましいと感じていた

そんな中で数年程前のことだか、テレビのある番組で髭が全然生えないので早く欲しい、毛がある人が羨ましいという風なコメントをしている人物を見た

 

少し発言は異なる気がするが、大体似ていたようなことを言っていたように思う

もし間違えていたらごめんなさい

 

話を戻す

その時の私は自身を毛深いと考えており、毛なんかいらないとすら思っていた

だからだろう、当時の私はテレビでそういう発言を聞いてこの人は何を言っているだ、こっちの苦労も知らないでと思っていた

というよりも、軽く怒った

 

最近になって、自分が欠点と感じていることでも相手にとっては意外にも魅力的に見えていることもあるということに気がついた

 

また私自身がそうなのだが、他の人はそこまで相手のことを観察しているわけではないと思う

何か目的がある場合なら、相手のことをよく観察する人もいるかもしれないが、世の中全体で考えてみると少ないのではないだろうか

 

たまに、人間観察が趣味の人もいるかもしれないが、そういう人ばかりが多いわけではないので気にし過ぎは良くない

 

だから、見た目で欠点だと思う部分があるのなら、それを自身の悪い部分と考えるのではなく「自分の個性」の1つだと思えばいいと思う

 

それでも、気に入らない場合はお金で解決するのもありだろう

 

また、よく長所は短所にもなるという言葉がある

欠点と自身が考えているだけで、周囲に聞いてみるとその人の特徴の1つとして捉えられてるだけかもしれない

逆に良い点としても捉えられる可能性もあると思う

 

自分が欠点だと感じてても、誰かに羨ましがられることだってある

そのことも考えると、別に欠点って持っててもいいし、逆に個性だと思えばそれも自分の一部ということにもなる

 

その欠点だと思うことに関して、他にどう認識すれば納得いくかを少し考えていこうと思う

 

まずは自身の欠点と思う点を、自分の感情抜きに事実として認識する

感情を抜くだけで、案外どうでもいいことを悩んでいたことに気づくときもある

 

事実を感情込みで考えるから、あまり大きくない出来事でも何故か大きな問題であるかのような錯覚をしてしまう

これは私も経験済みなので気をつけていきたい

 

その上で、その事実に対して自分はどう動くべきかを考えていく

 

事実を冷静に見れない場合は、一度寝てみるのもいいだろう

そうすれば、起きた時にはすっきりしていることが多いから

 

このように行動すると欠点と考えていたことも、あまりそうではないと思うようになることが出来るかもしれない

また本当に欠点が自身にマイナスのことしか与えなかったのなら、手術なども選択肢の1つであると思う

 

ここまで色々と書いてきたが、

他人は案外自分を見ていないので気にしない

欠点が嫌なら自身の考えを変えればいい

 

この2つで大抵は解決すると思う

しかし、それでもいけない場合は、最悪欠点の対処方を考え行動することで苦労はあるかもしれないが、その後は解決すると思う

 

少し欠点の捉え方とズレたことを書いた部分もあると思うが、あまり気にしないでもらいたい

 

今日は少し長くなりましたがこれで終わりです

 

次回も日常生活などで感じたことや考えたこと思ったことなどを書いていきたいと思います

 

記憶について

今日は記憶について思ったことや考えたことなどを書いていきたいと思います

 

記憶といえば、勉強だと暗記ものを覚えるときに大事なものだと思う

人によって得意だったり苦手だったりするだろう

しかし、今回書いていくのは少し異なるので勉強云々は関係はない話になると思う

 

それでは書いていく

記憶とは、普通に考えれば自分の目で見た映像を記録として残しているはずだと私は思っていた

 

しかし、少し前に昔の記憶を思い出してみると、私自身が映る記録があった

本来なら、私の目を通して周りの景色を見ているはずなのに、その記憶には私の後ろ姿があった

この時点で私が考えていた、自分の目で見たものをそのまま映像として記憶にしていると思っていたことが、何か違うのではないかと思うようになった

 

また、以前に母から私が赤ちゃんの頃の話を聞かされたことがある

ちょうどその頃の私は、ハイハイができるようで掃除機の音をひどく怖がっていたらしい

それで、母が掃除機をかけると私はハイハイしながら逃げたという

 

私には当時の記憶がない

ないながらも、聞いた時にその頃を想像した

その想像したものは、母が掃除機をかけながら逃げる赤ちゃんの私を追いかける映像だった

その想像があまりにもハッキリしているせいかは分からないが、私の脳内に残るものとなった

これも記憶のうちの1つなのかもしれない

 

これらのことから、昔の記憶でも覚えてるものは、本当に自分が見たままのものを記録したものだろうかと考えるようになった

 

ひとまず私が考えたのは、記憶には何種類かあるのではないかということ

 

1つは、自分が見たままを記録したもの

1つは、自分が見たものを脳で勝手に処理し自分が映り込むなどの加工されて記録したもの

1つは、想像したものが記憶として勝手に脳で処理し記録したもの

 

今のところ、私の中で考えられるのはこれくらいだ

探してみれば他にも何パターンかあるのかもしれない

 

私自身、ふと昔の記憶を思い出して考えてみるとあれっという風になり、書いてみようと思いこうなった

 

他の人も、自分の記憶を思い出してみると案外何かに気付くことがあるのかもしれない

 

今回はこれくらいで終わりにします

 

次回も日常生活で気になったことやあったことなど書いていきたいと思います

 

 

狂気

今日は狂気について思ったことや感じたこと、あったことなど書いていきたいと思います

 

狂気って聞いて、想像するのは麻薬吸ったり人だったり病んでる人だったりと、人によって様々なものだと思う

 

しかし、狂気っていうのは気がつかないだけで、既にそうなってる人もいる

というよりも、狂ってる時は自身が狂ってるということ自体に気がつくことはほぼない

 

ただあるのは、圧倒的な衝動や欲求のみ

だから、その圧倒的な衝動や欲求が無くなった段階の時にしか確認する術はないのかもしれない

 

私自身、中学〜高校の頃まで狂気に染まっていたように感じる

だが、当時の私は自分がおかしいということ自体に気がつくことはなかった

 

大学生となった今、ふと当時のことを思い出してみると、中毒と言っていい程の欲求(というよりも衝動に近いかも)があった

それに逆らおうとしたことはあったものの、実際には精神に負荷がかかり過ぎて、自分が壊れるという様な錯覚を感じて数日後には挫折していた

 

当時のことを振り返ると、私は自分では気がつかない内にストレスを溜めており、それを発散する場所を求めて、自然と狂気といってもいい程の欲求に変換されたのかもしれないと考えている

 

学生の私でさえ、気がつかなかい内に狂っているのだ

大人は、それ以上のストレスに晒されるだろうと考えているので、以前の私の様になっている人もいるのではなかろうか

 

狂っている時は、余裕がないことの方が多いと思う

実際に私も、あの頃はあの欲求の基にどういう行動するか、明日は〜しようなど、欲求を処理する為に思考を費やしていた

だから、余計に自身の状態については考えることもできなかった

 

もしも、今まで感じたことのない程の欲求、衝動としてもいいかもしらないモノが、自分の中にあるとしたら、それが発生した頃のストレスの原因を探り出した方がいいだろう

 

そして、その原因が解消できることを私は心から望む

 

ここに書いたのは、私が経験した狂気の一部分でしかないので、次回書くことがあればその事も書こうと思う

 

今日は以上で終わりにします

 

次回も日常生活であったことや思ったこと考えたことなど書いていきたいと思います

 

限界

今日は限界について思ったことや感じたことを書いていきたいと思います

 

限界を超えろとか限界突破などの言葉がある

 

これは私が個人的に思うことなのだが、普通は限界を越えることができないものだと思う

限界を例えてみると、人にはあらかじめ目に見えない線が引かれている、そんな感じ

それは勿論、自分にはどこにあるのか分からないし、他人にも分からないだろう

 

先程あげた限界突破などの言葉の中の限界の意味は、単なる比喩だと個人的には考えている

 

人は思い込みというものしていることが多い

今回の場合も、自身の限界を勝手に想像し決めつけていることがあるだろう

 

だから、その思い込んだ範囲から超えた記録を出したとき、限界を超えたと言うのだろう

 

私が考える限界とは、人が一生懸命にもがき努力し熟練した上で、精神的にも身体的にもこれ以上自身では超えられないと感じる域なのではと思っている

 

もしも、それを人が越えようとしたらその超えた瞬間に死ぬのではないか

もしくは、生きていたとしても肉体が壊れ2度とそれ以前の行動ができなくなるかもしれない

または、精神が壊れ以前のように思考する際に、幻聴が聞こえたり混乱をおこしたりと、日常生活に支障をきたすのかもしれない

 

私が思う限界を超えた状態に近いものは、大学受験などで頑張りすぎた為に陥りやすい燃え尽き症候群などではないかと思っている

 

火事場の馬鹿力というものがある

 

あれは本来抑えられている肉体の力を解除し、普段以上のことを行えるので、これは身体的には最も限界に近い部分に到達していると、私が考える意味では言えるのかもしれない

普段の肉体の状態を考えると限界を超えていると言えるが、身体的な上限を考えると限界は超えていないと言えるだろう

 

何にしてでも、言葉の定義というのは難しいものだと思う

 

今書いている限界に対して、私が考えている事だけで少し微妙な部分があるし、世の中で言う考えとは多少ズレているかもしれない

 

文字や言葉だけでもこのような差異があるのに、会話するとなるとより話が通じなくなる事もあるのかもしれない

 

気をつけていきたいと思う

 

今日は以上で終わりにします

 

次回も日常生活で思ったことや感じたことあったことなどを書いていきたいと思います

 

心の年齢

今日は心の年齢について思うことや感じたことを書いていきたいと思います

 

心の年齢といっても、私が言いたいのは精神年齢が低い高いということではない

 

子供の頃によく感じたかもしれない、ワクワクとした楽しそうでやりたくてたまらなくなる感情

これを歳をとっても抱くことが出来ていたら、それは心の年齢が若いという事だと私は思う

 

私は既に成人を迎え大人の仲間入りをしているのだが、心の年齢はまだ若く子供だ

外見がいくら歳をとろうとも、子供時代に感じていた気持ちをいつまでも失わずに持ち続けたいと思う

 

よくはいないかもしれないが、歳をとった大人の中には様々な物事を頭ごなしに否定だけをする人がいると思う

こういう人は、自分の人生が楽しく感じられないから他の人を見て、気づかないうちに妬み、意識することもなくそれを言葉に変換して自然と吐き出しているのかもしれない

気付きながらも毒を吐いてる人もいるかもしれない

 

逆に歳をとった大人でも、活き活きと生活している人もいると思う

こういう人は、自分の中で好きなことややりたい事があり、ただそれをするのが楽しくて楽しくしょうがないのかもしれない

 

私は今、やりたい事がいくつかある

これらの事は、誰かに頼まれたからやりたいのではなくて、気付いたら私自身が興味を抱いて楽しそうに思えたからやりたくなったのだ

 

このやりたい事は、言ってしまえば子供の頃の「将来の夢」に近いのかもしれない

だから、やりたい事をやってみて成功した時、それは「将来の夢」が叶ったことと同じなのではないかと思う

 

そう考えると、〜したいという気持ちを抱き行動に移すだけで心の年齢は若いままでいられるのかもしれない

ただ、その〜したいという気持ちが他人に迷惑をかける行為であるとしたら、よく考えてみた方がいい

手段や方法、それは自分が本当にしたい事かなど

 

ひとまず、ここまで脱線したことも書いたかもしれないが、私は歳をとっても外見は老いても心は若いまま様々なことに挑戦していきたいと思う

 

もし、あなたが否定することばかりしているのなら、やりたい事や好きな事に熱中してみればいいと思う

それで少しは世界を見る自分の目が変わるかもしれないから

 

今日は以上で終わりです

 

次回も日常生活で思ったことや感じたことあった事などを書いていきたいと思います

漠然とした衝動

今日は漠然とした衝動について思ったことや感じたことなど書いていきます

 

自分でもよく分からないけど、何かしないといけないというような衝動は、他の人は知らないけれど私は経験したことがある

 

この衝動は、特にやらなければいけないことがあるという訳でもなく、例えば本当に暇な時や心の中で様々な感情が渦巻いている時に出てくる気がする

 

私はその漠然とした衝動が出てきた時、このブログにその心の中にある感情を言葉に変換して書いて投稿してみたり、それとは別に抱いた思いを何か書き留めれる紙に書いたりしている

 

そうすることで、この衝動を消そうとしているのだと思う

 

でも、最近は割とこの漠然とした衝動が出てくることが以前と比べ、少なくなってきている気がする

今、書いているものも衝動が出たので書いているのではなく、以前はこういう衝動感じてたなと思い、それを記録しておこうと考えたからである

 

この漠然とした衝動が減った理由を考えてみることにする

私は最近は熱中してやっている事があり、それを達成させようと頻繁に練習している

それで、集中して練習しているのでそれ以外に割く時間が減ってきている

それにより、暇な時間が以前と比べ減少したと言える

 

つまり何かしらの熱中するものがある時は、漠然とした衝動は全然湧かないのではないか

 

次はこの漠然とした衝動は「何か」について考えてみる

 

この漠然とした衝動は現状の自分に何かしらの不満があり、それが見えない形で心の中に溜まり肥大化し、気付けばよく分からないものとして衝動という形になるのではないか

 

何故なら、熱中している時は全然湧くことがないものだから

 

ということは、不満の塊が蓄積されたものがこの漠然とした衝動とも言えるかもしれない

 

もし私の他にも、この漠然とした衝動に悩まされる人がいるなら、熱中できることを周囲にとらわれずにやってみたほうがいいと思う

 

まだ熱中できることがないというなら、好きなことややりたいことを試していけば、気付けば熱中していたとなるかもしれない

 

今日は以上で終わりにします

 

次回も日常生活で感じたことや思ったこと、あったことについて書いていきたいと思います