性善説 性悪説
今日は性善説や性悪説について考えたことを書いていきたいと思います
性善説は、人は生まれたときはみんな良い存在だという感じ
性悪説は、人は生まれたときから悪い存在であるって感じ
これはふと思いついたことなんだけど、人って生まれたときは純粋なんじゃないかと
だから、その後の生活環境次第で善くもなれば悪くもなるのではないか
人は生まれたときは純粋だから常識を理解していないうちは、興味を持った事柄にその子なりの考えで行動していく
その子は常識をまだ理解しているわけではないので、大人からすれば突拍子のないことをする
でも、その突拍子のないことが、善い方に転ぶか悪い方に転ぶかは分からない
そして、成長するにつれて人は環境次第で、考え方が善い人は結果的に性善説が当てはまっているように見え、逆に考え方が悪い方は性悪説が当てはまって見えるようになる
ただ性悪説の考えで、自分の利益になるが相手が損するようなとき、人は自分の利益だけを考え、相手のその後の人生が滅茶苦茶になると知った上でも、自分の利益になるように行動する
だから、最初から相手を信じずに疑って行動しろみたいなものがある
私が言いたいのは、人は生まれたときは純粋だった(善も悪も知らない状態)
だから、この世の常識を教えられたときに自然と欲望についても学んでしまい、自分は得するが相手は損する状態のときに、欲望が顔を出してきてどのように選択すればいいのかと考えているときに邪魔をしてくる
今までの生活環境で、善い考え方をするようになった人は、その欲望が出てきても比較的簡単に相手が損することを選ばないと思う
逆に、悪い考え方をするようになった人は、欲望に負け自分の利益をとってしまうだろう
また、その欲望が出てきたときに迷ってしまう人は、善い考え方と悪い考え方の両方を持ってるといえると思う
よって、私は性善説も性悪説も人の特徴を捉えているとは思うが、生まれたときは純粋でありその後の環境次第で善か悪かの考え方の比重が決まってくるのではないかと思う